東輪寺は 1674 年 ( 延宝二年 ) に、尾張二代藩主 徳川光友公によって 創建された黄檗宗 ( 禅宗 ) 大本山萬福寺の直末寺院です。 開山は、宗祖隠元禅師の高弟で、木庵禅師とならび黄檗の二甘露門と 称された高僧・即非禅師。初代住職には、後に大本山萬福寺第六代の 法席を継ぐ千呆禅師が就かれました。一時、曹洞宗に転派した時期も ありましたが、千呆禅師の弟子・天祐禅師によって再建。第四代蘆江 禅師の頃には唐風の七堂伽藍が整い、1709 年 ( 宝永六年 )、尾張藩よ り年禮御目見得を許され、領内寺院の触頭に任ぜられました。 その後は、尾張の黄檗禅の中心として多くの人々の信仰を集めました が、1891 年 ( 明治二十四年 ) の濃尾地震により伽藍が倒壊。復興後間 もなく 1945 年 ( 昭和二十年 ) に戦災によって伽藍一切を焼失しました。 しかし、戦後 50 年経った 1995 年 ( 平成七年 )、念願が叶い現在の本堂 が再建されました。

中国明代末の禅僧 隠元禅師 (1592-1673) が江戸時代初期 (1654 年 ) に来日。徳川四代将軍家綱公より京都府宇治市に寺領を賜り 「黄檗山萬福寺」を創建・開宗しました。中国に於ける臨済宗系の禅宗ですが、日本では黄檗宗と名乗り日本三禅宗の一つです。 【唯心の浄土・己身の弥陀】を体得する。我々が本来備えている仏心を座禅することにより発見し、仏と一体となる。つまり心を浄土とし( 唯心の浄土 ) 我が身を弥陀とする ( 己身の弥陀 ) ことが大切だと説い ています。

 
延宝2年(1674年)
東輪寺創建
 
 

 
天和2年(1682年)
萬福寺直末寺院になる
 
 

 
貞享4年(1687年)
大休禅師伊予千秋寺入寺
 
 

 
元禄2年(1689年)
曹洞宗に転派
 
 

 
元禄5年(1692年)
東輪寺再興
 
 

 
宝永6年(1709年)
尾張国の黄檗寺院の触頭に任ぜられる
 
 

 
弘化3年(1846年)
24代大亀禅師 黄檗32代楚州禅師晋山の白槌師を務める
 
 

 
明治24年(1891年)
濃尾地震により伽藍倒壊
 
 

 
明治大正年間
26代聖道禅師、27代高眼禅師、伽藍修復
 
 

 
昭和20年(1945年)
空襲により伽藍一切を焼失
 
 

 
平成7年(1995年)
現・本堂再建
 
 

 
平成18年(2006年)
仁道閣竣工
 
 


文化の香り


江戸時代の東輪寺は文人墨客(ぶんじんぼっかく)の集う


寺院として知られ、現在も「松尾芭蕉の句碑」をはじめ


多くの歌碑等が境内に残っています。

 

黄檗宗
護國山 東輪寺


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